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金沢地方裁判所七尾支部 昭和56年(ワ)84号 判決

原告 室屋明

右訴訟代理人弁護士 山崎利男

被告 福島喜美子

右訴訟代理人弁護士 江谷英男

同 藤村睦美

同 大園重信

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の土地につき真正なる登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を及び同目録二、四、五及び七記載の各土地の各九分の一の各共有持分につき真正なる登記名義の回復を原因とする持分移転登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  (本案前の答弁)

本件訴を却下する。

2  (本案の答弁)

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  長崎区は石川県鹿島郡能登島町に属する一字であり、独立の法人格を有してはいないが、旧加賀藩時代からの長い歴史と慣習に従い長崎地内に居住する住民が長崎部落を形成し、団体的共同生活を営んできており、能登島町に合併される以前は、鹿島郡東島村字長崎部落と称されていたものである。

長崎区は能登島町の事業とは別に、長崎地内に居住する住民により、その福祉のため各般の独自の事業を営み、これらに要する施設、資材、其の他の財産を所有し、区長、区長代理者(副区長)、書記等の役員の選出、役員会(役員会には四名の班長も出席する)及び区民総会の運営(議決は多数決による)をなし、財産を管理し、部落の諸経費は一定の手続と基準により部落住民、区民に賦課する等、一つの統制ある共同体を構成して活動しているものであるから、民法の組合に類似する社団である。従って民事訴訟法第四六条にいわゆる法人に非ざる社団で代表者の定めのあるものに該当する。

(二) 原告は、昭和五三年四月一日に長崎区の区長に選出され、現在に至っている。

2  長崎区は、別紙物件目録記載の各土地(以下、このうち一、二、四、五及び七を「本件各土地」といい、個々の土地を「本件一の土地」等といい、このうち三、六及び八を「件外各土地」といい、個々の土地を「件外三の土地」等という。)を所有している。

3(一)  被告は、本件一の土地につき金沢地方法務局七尾支局昭和五二年三月一日受付第二一三五号所有権(持分九分の一)移転登記、同昭和五四年八月二日受付第九〇五二号室屋ナヲイ持分一部(九分の一)移転登記、同昭和五四年八月二日受付第九〇五五号室屋邦秋持分(九分の一)全部移転登記、同昭和五六年七月二四日受付第一一六一一号高田み子持分(九分の一)全部移転登記、同昭和五六年七月二四日受付第一一六一二号安栗朝子持分(九分の一)全部移転登記、同昭和五六年七月二四日受付第一一六一三号山本シゲ子持分(九分の二)全部移転登記及び同昭和五六年七月二四日受付第一一六一五号今井外志美持分(九分の二)全部移転登記を経由した。

(二) 被告は、本件二、四、五及び七の各土地につき金沢地方法務局七尾支局昭和五二年三月一日受付第二一三四号所有権保存(持分九分の一)登記を経由した。

よって、原告は、被告に対し、所有権に基づき本件一の土地につき真正なる登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を及び本件二、四、五及び七の各土地の共有持分(九分の一)につき真正なる登記名義の回復を原因とする持分移転登記手続をすることを求める。

二  被告の本案前の主張

長崎区は市町村のような公法上の団体(行政区画)ではなく、当該地区に居住している住民の事実上の集団にしか過ぎず、また財産区でもないことは明らかである。

また、民事訴訟法四六条の社団というためには、構成員たる個々の住民から独立した存在としての実体を有し、加入、脱退等構成員となるべき者の範囲、役員の選出や役員会、事業内容、財産管理、費用負担等についての規約を有することが必要であるが、長崎区は、これらについての明確な規約を有しておらず、未だ権利能力なき社団としての実体を有していない地域的な単なる集団にしかすぎない。

従って、長崎区の区長室屋明が原告として提起した本訴は当事者能力を有しない者の訴として不適法であるから却下さるべきものである。

三  被告の本案前の主張に対する原告の答弁

被告の本案前の主張は争う。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(二)は知らない。

2  同2は、長崎区がかつて本件各土地及び件外各土地を所有していたことは認めるが、その余は否認する。

3  同3(一)(二)は認める。

五  抗弁

室屋吉右エ門(以下「吉右エ門」という。)は、明治二七年一二月二八日長崎区から本件各土地を買い受け(以下「本件売買」という。)、このうち本件一の土地については明治三五年五月二四日所有権保存登記を経由した。

室屋吉三郎(以下「吉三郎」という。)は大正一一年三月三一日吉右エ門を家督相続し、室屋吉英(以下「吉英」という。)は昭和二〇年一〇月二九日吉三郎を家督相続し、吉英は昭和二二年七月一九日死亡し、妻ナヲイ(相続分九分の三)、長女被告、長男室屋邦秋、三女高田み子、五女山本シゲ子、六女安栗朝子及び七女今井外志美(相続分各九分の一)が共同相続した。

被告は、その後本件一の土地について、他の共同相続人からそれぞれその持分の贈与を受けた。

六  抗弁に対する認否

抗弁は認める。

七  再抗弁

長崎区と吉右エ門は、本件売買をする際、いずれも本件各土地を売買する意思がないのに、その意思があるもののように仮装することを合意した。

即ち、明治二二年二月一一日公布された衆議院議員選挙法(明治二二年法律第三号)では、一五円以上の直接国税を引き続き一年以上納めることが選挙権を有するための要件とされていたが、当時長崎部落で右要件を満たしていたのは室屋吉太郎及び出村勇五郎の両名のみであった。吉右エ門は一五円以上の直接国税を納めてはいなかったが、長崎部落からの選挙人の数を増やすために、本件各土地及び件外各土地の所有名義を形式上吉右エ門に移し、長崎部落が納めるべき直接国税を吉右エ門が納めるような形式をとることにより、同人が選挙人となり、しかも右各土地の直接国税は長崎部落が負担してきたのである。

八  再抗弁に対する認否

再抗弁は否認する。

吉右エ門は、当時長崎部落では資産家の一人であり、選挙権を取得するために本件各土地及び件外各土地の所有名義を吉右エ門に移す必要はなかった。

また、明治二二年法律第三号では、(一)帝国民たる年令満二五歳以上の男子、(二)一年以上当該府県内に本籍を定め居住したること、(三)一年以上(所得税は三年以上)当該府県内で直接国税一五円以上を納めることが選挙権を有するための要件とされていたが、明治三三年法律第七三号により納税要件が満一年以上地租一〇円以上又は満二年以上地租以外の直接国税一〇円以上若しくは満二年以上地租とその他の直接国税とを合わせて一〇円以上納めることに改正され、大正八年法律第六〇号により納税要件が一年以上直接国税三円以上納めることに改正され、さらに大正一四年法律第四七号により納税要件が撤廃された。

右のとおり選挙権の取得の資格要件とされた納税額は順次引き下げられ、大正一四年には撤廃されたのであるから、仮に、原告主張のように吉右エ門に選挙権を得せしめるために本件各土地及び件外各土地の名義を同人のものとしたというのであれば、右要件の緩和もしくは撤廃により吉右エ門の選挙権に本件各土地及び件外各土地が必要でなくなった時点において、その名義が長崎区に返還されていたはずである。しかるに、その後そのような措置がとられることなく推移してきたのであって、これは本件売買が真実行なわれたからである。

第三証拠《省略》

理由

一  (被告の本案前の主張について)

1  《証拠省略》によれば、長崎区は石川県鹿島郡能登島町に属する一字であり、長崎地内に居住する住民でこれを形成し、現在は二五世帯あること、長崎区の役員には区長一名、区長代理一名、書記一名、班長四名がおり、これらの役員は選挙で決め、区長の任期は二年で、区長と書記には区から報酬が支払われること、区の運営は役員が行ない、区長が区を代表すること、毎年二月に区民総会(初寄り)を開催し、その他必要に応じ臨時会を開催することがあること、区に必要な経費は長崎区に居住する各世帯から万雑と呼ばれる金員の拠出を受けてこれに充て、万雑は毎年初寄りにおいて決定されるが、その二分の一は世帯平均割で、二分の一は耕作反別割によって各世帯の負担額が決定されること及び長崎区は本件各土地及び件外各土地を除外しても、その他に火葬場及び溜池等の土地を所有してこれを区長が管理していることの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上に認定した事実によれば、確かに長崎地区は市町村のような行政区画ではなくまた財産区でないことも明らかであるが、長崎区は区の構成員、役員、区の運営、経費の負担及び不動産の管理等団体としての主要な点が定められていることが認められる。

そうすると長崎区は独立の存在を有する権利能力のない社団としての実体を有し、代表者又は管理人の定めあるものと認められ、民事訴訟法四六条により当事者能力を有するものというべきである。

2  《証拠省略》によれば、原告は昭和五三年四月一日から長崎区の区長の地位にあることが認められる。

3  以上によれば、長崎区区長室屋明が原告として提起した本訴は適法というべきであるから、被告の本案前の主張には理由がない。

二  (請求原因について)

1  請求原因1(一)(二)は、一に判示したとおりである。

2  請求原因2のうち、長崎区がかつて本件各土地及び件外各土地を所有していたことは当事者間に争いがない。

3  請求原因3(一)(二)は当事者間に争いがない。

三  (抗弁について)

抗弁は当事者間に争いがない。

四  (再抗弁について)

1(一)  明治二二年二月一一日公布された衆議院議員選挙法(明治二二年法律第三号)における選挙権の要件のうちの納税要件及びその後の右要件の改正について検討するに、明治二二年法律第三号においては、一五円以上の直接国税を引き続き一年以上(所得税の場合は三年以上)納めることが要件とされていたが、明治三三年法律第七三号においては地租一〇円以上(期間は一年以上)又は地租以外の直接国税一〇円以上若しくは地租とその他の直接国税とを合せて一〇円以上(期間はいずれも二年以上)を納めることが要件とされ、大正八年法律第六〇号においては税の種別を問わず引き続き一年以上直接国税三円以上を納めることが要件とされ、大正一四年法律第四七号においては納税要件が撤廃されたことが明らかである。

(二)  《証拠省略》によれば、これらはいずれも明治一一年から一五年にかけて吉右エ門が石川県から授与された地券(但し、一一は吉右エ門及び中山長助を持主とする。)であり、これらの中には本件各土地及び件外各土地の分は含まれていないこと、当初地租は地価の一〇〇分の三とされたが、明治一〇年からは一〇〇分の二・五とされたこと及び右六七通の地券に表示された地租(一〇〇分の二・五)の合計額は一四円三七銭四厘となり、明治二二年法律第三号に定める納税額一五円には不足するものであったことの各事実が認められる。

そして、後記(四)に認定する本件各土地及び件外各土地の各地租の額を右地租の額に加えれば一五円以上となることが明らかである。

(三)  《証拠省略》によれば、本件売買がなされた当時長崎村で自己の財産のみで納税要件を満たしていたのは室屋太八(吉太郎)のみであったので、選挙権者を増やそうということになって、その当時長崎村で資産家であった出村勇五郎、源内助松、吉右エ門及び角三丹蔵らに対し長崎村所有地の所有名義を移転して納税要件を満たさせることにし、田を室屋太八(吉太郎、同人は納税要件を満たしてはいたが所有名義の移転を受けた。)、出村勇五郎及び源内助松に、畑を角三丹蔵にそれぞれ所有名義を移し、選挙権を取得し、右各土地に課される地租やその後の固定資産税は長崎村で負担してきたが、これらはいずれも農地解放の際に当時耕作していた人に売却されたことが認められ(る。)《証拠判断省略》

(四)  《証拠省略》によれば、これらはいずれも長崎部落の土地名寄帳であり、前者は明治二一年改製のもので後者は明治三一年改製のものであるが、いずれにも本件各土地及び件外各土地が長崎村一村共有地として記載されていること及び前者には右各土地の地租について、本件一の土地は一円六〇銭四厘、本件四の土地は三銭七厘、本件五の土地は二銭一厘、件外六の土地は五銭六厘及び件外八の土地は二銭三厘と記載されており、本件二及び七の各土地並びに件外三の土地については地租の記載がないことの各事実が認められる。

(五)  《証拠省略》によれば、本件各土地及び件外各土地については地租あるいは固定資産税を長崎部落において支払ってきたことが認められる。

(六)(1)  《証拠省略》によれば、江戸時代長崎村と鰀目村との間で本件一の土地(通称海替地山)の所有権の帰属について紛争が生じ、加賀藩の改作所(藩の農政及び収納をとりしきる役所)及び公事場(藩の最高裁判所)において弘化三年(西歴一八四六年)に裁判がなされ、長崎村は古くから鰀目村の領海で漁業をする代償として海替地山の利用権を鰀目村に渡したが、その所有権は長崎村に帰属する旨決定されたこと及びその後現在まで右のような権利関係が継続し、長崎部落の者は海替地山を全く使用収益してこなかったことが認められる。

(2) 《証拠省略》によれば、本件二の土地は現在長崎区が三田幸雄に地代年一〇〇〇円で貸し、地代は万雑に入金されていること、本件四及び五の各土地にはかつて舟小屋があったが、現在は件外六の土地と共に舟揚げ場、荷揚げ場として漁師が利用していること、本件七の土地及び件外八の各土地は後記(七)のような事情から源内源次が管理していること、件外三の土地はかなり以前から長崎区が中原四郎(現在はその妻)に宅地として地代年五〇〇〇円で貸し、地代は万雑に入金されていることの各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(七)  《証拠省略》によれば、吉英は昭和二〇年一一月一〇日吉三郎から家督相続を受けていたが、昭和二二年春ころ病気の治療のため家を出るにあたり、原告、源内源次、室屋一男、角三繁信、出村栄松及び甚五吉雄ら長崎部落の者二〇名位を家に呼び集め、本件各土地及び件外各土地の所有名義を長崎部落に戻したい旨申し出たが、部落民の間で誰の名義にするかということについて意見がまとまらず、結局登記名義を長崎部落に戻すことはできなかったこと及び吉英は昭和二二年七月一九日死亡したが、吉英の母なむから当時の区長の甚五吉雄に対し本件各土地及び件外各土地の相続税を部落で負担してほしいという申し出がなされたため、部落ではこれを承諾し、その財源とするため、本件七及び件外八の各土地を入札に付したところ、源内源次が落札し、吉英が吉三郎を家督相続した際の相続税のうち長崎部落が負担すべき五四八一円及び被告らが吉英を相続した際の相続税のうち長崎部落が負担すべき四万八七六一円の合計金五万四二四二円を昭和二四年九月一日吉英の妻ナヲイに支払ったことが認められ(る。)《証拠判断省略》

(八)  原告は、本件訴訟において、被告と共に室屋邦秋、高田み子、今井外志美、山本シゲ子及び安栗朝子をも共同被告として、被告に対するものと同様の請求原因に基づき、室屋邦秋に対し件外三、六及び八の土地の所有権並びに本件二、四、五及び七の各土地の各九分の四の共有持分について並びに高田み子、今井外志美、山本シゲ子及び安栗朝子に対し本件二、四、五及び七の各土地の各九分の一の共有持分についてそれぞれ真正なる登記名義の回復を原因とする所有権あるいは共有持分権の移転登記手続を求めたが同人らは適式の呼出を受けながら口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しなかったため民事訴訟法一四〇条三項の規定により請求原因を自白したものとみなされ原告勝訴の判決がなされ、これが確定したことは当裁判所に顕著な事実である。

2  被告は、本件売買の具体的な内容や本件売買がなされるに至った経緯等については何ら主張をせずまた被告本人及び証人室屋邦秋も供述しないのであるが、確かに本件売買がなされたのが明治二七年というかなり以前のことであってみれば売買の詳細な内容についてこれを明らかにできないとしてもあるいは無理からぬことと考えられないでもない。しかしながら、特に本件一の土地はかなり広大な山林であり、しかもその利用権は前記1(六)(1)に認定したような事情により鰀目村が有していたのであるから、このような土地を長崎村から買い受けたというのであれば、売買がなされるに至った経緯等については何らかの言い伝えがあってもよさそうであるが、前記のとおりそのような言い伝えがあるとの主張や供述はない。

また前記1(二)に認定したように件外三の土地は中原四郎(現在はその妻)が使用し、その地代は長崎区の万雑に入金されているのであり、《証拠省略》によれば中原は被告室屋家の新宅にあたることが認められ、件外三の土地を真実吉右エ門が買い受けたのであれば右土地の利用関係はいわば親族間の事柄となるのであるが、中原が地代を長崎区に支払い、長崎区がその固定資産税を負担しているということも全く首肯し難いことといわねばならない。

被告は、吉右エ門が所有していた土地の地券を六七通も書証(《証拠省略》)として提出しながら、本件各土地及び件外各土地については全く提出しないということも本件売買が真実行なわれたのであるならば不自然なことといわねばならない。

3  以上1及び2に検討したところを総合して判断すると、吉右エ門は本件売買がなされた当時かなりの資産家ではあったが、なお明治二二年法律第三号に定める税納要件を満たしていなかったため、選挙権を得るため出村勇五郎、源内助松及び角三丹蔵がそれぞれ長崎村から、その所有地につき形式上所有名義を移した際に同様に本件各土地及び件外各土地につき形式上所有名義を移して選挙権を得たが、その後吉英から所有名義を長崎村に戻したいとの申出がなされたもののそれが実現することもなくまた本件各土地及び件外各土地が山林、原野及び雑種地であったため農地解放の影響も受けることなく現在に至ったものと認めるのが相当である。

従って、原告の再抗弁には理由がある。

五  (結論)

以上によれば、原告の本訴請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小見山進)

〈以下省略〉

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